一見すると、非常にマイナスな言葉のように聞こえますが、
マイナスばかりでも無いんですよね。
むしろ「ロスする対象」を上手く設定すれば、
プラスにもなる言葉だと私は思ったのです。
そして、思いつきました。
「そうだ!自分はロスジェネ世代だからこそ、
くだらない見栄や偽の欲望というモンスターをロスした人生を送ろう!」
ということを。
ロスジェネの「ロス」を「無駄な見栄をロスする」に変えよう!
私は40代で、巷で言うところの「ロスジェネ世代」です。
ロスジェネ世代と言えば
「あのころは正社員として就職するのも難しかったよね」とか
「他と比べて恵まれていない世代だよね」とか
「可哀そう」とか言われることが多いので、
最初はその言葉を鵜呑みにし、自分も一緒になって悲観していたんです。
しかし、会社員を辞めたあたりの時期、ふとした瞬間
「むしろ、ロスジェネということをプラスにして生きられるんじゃね?」
って思いついたんです。
そして「どうせなら、要らないものは綺麗さっぱりロスできる人間になろう!」と。
それが「無駄な見栄と欲望をロス」することを実践するきっかけとなった出来事です。
それで、本当に欲しいもの・ことだけ手に入れ、
あとは全部そぎ落としていくことにしたのです。
見栄と偽の欲を「贅肉を削ぎ落すように」排除していった結果・・・
そもそも私は、平均よりも少し貧乏な家庭出身で、大した学歴も無く、会社員として中小企業を3社(そのうち2社は倒産したので現存せず)を渡り歩いただけですので、
大した見栄や欲など元々持ち合わせていないのですが・・・。
それでも、メディアとか学校とか社会とかに触れている以上、
やはり何かしら「外部から植え付けられた見栄や欲」があるだろうと思ったので、
徹底的に自分と向き合い、紙に書いてみることに。
そして、1つ1つ細かくリストアップし、本当に自分が欲しているものと、そうでないものに仕分けすることを実施してみました。
例えば「正社員の地位」が欲しいもののリストに挙がった場合、
「それって自分が本当に必要としているのものなの?」
「世間的な見栄で正社員になりたいだけじゃないの?」
「お金を得る手段って、果たして正社員になることだけなのか?」
というように、多角的な方面から考えて仕分けしていきました。
その結果・・・、
本当に私が必要としているものは、そう多くはありませんでした。
私が本当に欲しているもの(こと)は、
・時間の自由
・精神の安定
・安全に住むことができる住居(種類は問わない)
・きれいな水
・生命維持のための食糧
・暑さ寒さをしのぐための衣服
・足を守るための靴
・楽しく取り組むことができる仕事
・生活に必要な分を賄えるお金
・私が貧乏でも心優しく接してくれている人たち
このような項目が残りました。
逆に「欲しい洗脳されていたもの」も分かりました。
例えば・・・、
・新築のきれいな家
⇒初期費用が馬鹿みたいに高い。経年劣化した時に修繕費用も馬鹿にならない。イラネ。
・子ども ⇒自分が子育てに向いてないので「持たない」のままで良い
・車 ⇒たしかに便利だけど、運転するリスクと自動車税とかガソリン代とかコストがかかる。イラネ。
・地位や身分 ⇒元々、そんなもの無い。今後も無い。
など、こんなふうに1つ1つ洗い出してみると、私の場合は
世の中の人が持っていて「どや」と自慢げになっているものが、ほとんど不要だと判明。
多分、欲しいと思うことは二度と無いでしょう。
見栄や偽欲という贅肉の無い「自然体の自分」に。
このような作業を行い、贅肉のような見栄や偽物の欲を「きれいさっぱり」そぎ落としてみると、なんというかこう、以前よりも「心が軽くなったように感じる」んですよね。なんというか、こう「自然体の自分で生きてるな~」って感じで。
きっと、軽くなる前の自分は、
想像する以上にたくさんの「いらない見栄や偽の欲望」が存在していたんでしょうね。
これは私の所感ですが、
一般的にロスジェネ世代の人は、
上に控えている団塊の世代やバブル世代に
日本が豊かだった時代の「見栄や欲望たっぷりの価値観」
というものを幼少期からゴリゴリ押し付けられてきて育っている人が多いと思うんですよね。
なので、ロスジェネ世代の人で
「なんだか生きるのが苦しいな」と思った場合は、
一旦その「上から押し付けられた、豊かだった時代の見栄や欲望たっぷりの価値観」を手放してみるのも良いんじゃないかしら?
かつて日本が豊かだった時代の価値観は、今となってはもう化石ですからね。
そんな訳で、現場からは以上です。