一人上手は老後の勝ち組?【キャップ爺】と【さみしいバアバ】の例

もし、一人の時間というものに

若い時から真剣に向き合って来なかった場合、

そのツケが出てくるのは「老いてから」

 
「老後」と言われるステージになって、

いざ「一人の時間」を手に入れた時、

それをどう扱うのか?

 
このことは、その人の人生を

幸せか、それとも不幸にするのかを左右してしまうくらい
非常に大切な要素だと私は考えています。

 
さて、今回は、

私が「2人の人生の先輩」から

「一人で過ごす時間をどう捉えて生きるのか?」を

改めて考えさせられたエピソードについてご紹介していきます。

 

ケース1:一人上手の【キャップ爺】

一人目に紹介する「人生の先輩」は、

すてきな帽子をかぶっている老紳士「キャップ爺」です。

 
(あいにく、その紳士の名前を知らないため、

ここではキャップ爺という愛称で呼ばせて頂くことにします)

 
 
キャップ爺は、私が一人でファミレスに行き

静かにコーヒーを楽しんでいる時間帯に

高確率で来店していたため、

自然と「気になる存在」になっていきました。

 
 
いつも「さばの味噌煮定食」を注文し、

その後はドリンクバーを楽しみながら

クロスワードパズルを解くというのが彼のスタイル。

 
よく、世間では

「一人飯なんて侘しい」なんて言われることもありますが、

キャップ爺からは、そんな寂しさとか侘しさというものを

一切感じたことはありません。

 
 
むしろ彼は一人の時間を

生き生きとした目で

伸び伸びした気持ちで堪能している・・・。

 
そんなキャップ爺の姿には、

なんかこう「凛としたもの」がありました。

 
やっぱり、一人の時間を

楽しんでいる人って、最高に格好良いですし、

見ている側からしても、清々しい気持ちになりますね。

 
「一人を楽しんでいるって、素敵だなぁ」

 
そう思える、人生の先輩の実例に出会えたので、

これは本当に幸運な出来事だったと思います。

 

ケース2:一人下手の【さみしいバアバ】

対して、2人目の人生の先輩

「さみしいバアバ」。

 
彼女は、私の実の祖母なので、

私からすると「バアバ」ですね。

 
なぜ「さみしいバアバ」なのか?というと、

彼女には、人と一緒にいても

常に「さみしい」「さみしい」という言う口癖があったからです。

 
家族といても、近所の人達といても、

彼女は常に「さみしい」と言います。

 
しかし、周りの人は

彼女に無関心なのではありません。

 
むしろ積極的に、寂しくないように

一緒にいようと努力して、関わってくれています。

 
それなのに、彼女の口からは「さみしい」と言う言葉が

止むことはありませんし、

かといって、彼女から「さみしいを解消するための行動」を

積極的に起こすこともありません。

 
ある時、私は

「なんで人と一緒にいるのに”さみしい”って言うの?」
と彼女に聞いてみたんですよね。

 
そしたら、根本的な原因は

「じいちゃんが居ない」
という事だったんです。

 
彼女にとっては、

じいちゃん(私の祖父)が

人生の「ほぼ全て」だったようで、

何をするにも

「じいちゃんの言う通りにする」とか

「じいちゃんのために」とか、

もう「人生の軸自体が、じいちゃん」の人だったんですよね。

 
だから、歳を取って

じいちゃんが先に天国に旅立った後、

人生の軸が無くなってしまって「さみしい」のだと私は思いました。

 
さすがに、こうなると

じいちゃん本人はもう生き返らないし、

この世で誰にも「じいちゃんの代わりは務まらない」ですので、

どう頑張っても、彼女の「さみしい」は解消できそうもありません。

 

キャップ爺とさみしいバアバから学んだこと

 
一人の時間を、上手く過ごすことが出来る「キャップ爺」。

 
そして、一人の時間をもて余し、

さみしいを連発する「さみしいバアバ」。

 
そんな二人の人生の先輩から

私が学んだことは、

 
「一人の時間を楽しみたいならば、
自分の人生の軸を他人に委ねてはいけない」
 
ということ。

 
例えば、夫に限らず

「子どもが生きがいです」とか

「孫が生きがいです」などといった感じもそうです。

 
他人を自分の人生の軸としてしまうと、

その人が居なくなった途端、

自分の人生の軸が無くなり、

何をしていいか分からなくなります。

 
だから、私の祖母こと

「さみしいバアバ」は、

人生の軸「じいちゃん」が居なくなって、

一気に自分の人生の軸を失い、

「自分は、どうしたいか」

「自分は、どうありたいか」

それらが全て分からなくなってしまいました・・・。

 
その一方、キャップ爺は、

自分の人生の軸は恐らく「自分」にあったのだと思います。

 
一人でいようが、他人と一緒にいようが、

何をすれば自分は楽しめるのか?

何を食べれば自分は幸せを感じるのか?

それをキャップ爺は分かっているし、

自分の判断で、行動を取る。

 
自分の「ごきげん取り」を

決して他人任せにはしていません。

 
その違いこそが、

老後の「一人の時間を楽しめるかどうか?」について

明暗を分けるのだと私は思います。

 

一人上手は老後を楽しむ「勝ち組」に!

人間は、いつかこの世を去る時が来ます。

 
自分もそうですし、

自分の家族をはじめ、周りの人たちも全てそうです。

 
そして、当然ですが

長く生きれば生きるほど

自分と同年代の人が減っていきます。

 
そんな時、

他人のことを人生の軸にしていたら、

どうでしょう?

 
その「軸とする他人」が

先に亡くなってしまったり、

仮に生きていても、何らかの理由で疎遠になったり

仲がこじれたり嫌われたりした場合、

高確率で「さみしいバアバ」と同じ道を辿ることが予想されます。

 
しかし、人生の軸が自分にあって

自分一人の時間を楽しむことができれば、

周りの人が先に亡くなろうが、

たとえ誰かと疎遠になったり嫌われたとしても、

「一人の時間が楽しい」ことに変わりはありません。

 
特に、共感しやすい同年代が少なくなる老後は、

一人の時間を楽しめれば楽しめるほど

「勝ち組」になる可能性がグンと上がる訳です。

 
「一人上手」は、歳を取れば取るほど

役立つスキルだと思うので、

もし楽しく長生きしたいならば、
「一人上手になること」がオススメです。
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